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ひとりごと

ひとりごと

日記に書くほどの事でもない。その4


意外とね、ここで書くことで発散してる感じだから私的には全然すっきりしちゃってる気もするんですけど。
もしね、人生で何か悩んだりしてるならこんなバカもいるんだよ~!
なんて思って日々の糧にでもしてもらえれば。と思ったりしちゃってます。

さて、ずぅ~っとさかのぼって中学生の頃。

私はとってもバカでしたが、ありがちに運動能力だけは秀でてました。
走るのだけは得意で陸上部でした。短距離と走り幅跳びの候補になったり、高飛びも意外とできたり。
助走がつけばなんでも出来るんだけど。今は出来ません・・・

その陸上部の練習の際に雨水でできた溝に足をとられてコケ、私は腰を捻挫しました。
めがねっこだったのだが、走る時は外していたので見えていなくてね。
コルセットをしてなきゃダメと医者に言われてましたがそこは多感な中学生!学校には付けていく事はできなかった。
だから、まったく怪我人には見えなかった。
(この怪我で今でも腰痛がヒドイ。)

体育の授業。確か低い跳び箱に向かって飛び込みジャンプして前転する。とか、逆立ちしてから前転する。なんて授業でした。

腰が痛くて普通の姿勢でも苦しいのに前転なんて・・・ムリだ。
当時担任で体育の女性教師は見学を希望した私の話を無視し、サボりたいだけだろという目でみてる。
健康体に見えるし・・・反抗期も重なって自主的に授業を抜けようとした。

ら!

クラス全員の前でかなり酷い罵倒をされた。私はもう頭真っ白で覚えてもいないけど、体育館の端のほうでただ涙が流れていた。
私はその後の授業も無言で涙を流しながら意地で出ていたが放課後は一目散に家に帰った。
実は入れ違いに親が学校に呼び出されていたらしい。
黙ってるつもりがばれていたわけだ。
親は怪我を知っていたからきっと教師に話したとは思うけど結局その後教師からは何も話はされなかったが。

私は学校を休みがちになり部屋からも出たくないという日々を送った。
でも、復活できたのはそんなバカな教師なんか気にしなくたって生きていけると思えたからだし。
学校にでて陸上部を辞めて趣味だった絵を描きたくて美術部に入り、科学部とかるた部へ掛け持ちを始めた。(科学部は遊びに・・カッコイイ先輩がいたから♪)

学校は嫌いだし、走る事を辞めることで学校には名前を残さないというか・・・(大会とかに出てたから)
もう、その女性教師に関わることはしたくないというかね。

いまから考えると、結婚もできないもうすぐ30代のその先生は今の私と同じようなサミシイ女なわけで・・・
そりゃストレスなんかもあったに違いないけど。
教師という職業には不向きな・・・体育バカ・・・
きっとね、運動が好きな奴しか来ないジムなんかで働いていたら違うとおもうんです。出来ないならくんな!と言えるでしょ?

でも、体の不調を信じられない。生徒の言う事はみな嘘だと凝り固まった考えを変えることが出来ないなら。(サボる生徒もいたからでしょうが)
今なら・・・「死んでまえ!!」といえるぞ!
おまえのせいで学校嫌いになったし、好きだった部活も辞めなきゃならなくなったし。
なんでも人のせいにしちゃうのは簡単だけど、あの頃はまだまだ子供だったから大人にはむかうなんて出来なかった。
大人が言う事は間違っていないと思っていたけど違うという事を知った。

その事件の前まではその先生を好きだったから余計に子供ながらに人間不信になった。実はその先生はかなり贔屓をする先生で反抗する生徒を毛嫌いしていた事を後に知る。私はきっとおとなしい文句を発しない子供だと思ってたんだね~

大人は正しくなんかない!自分の信じる道を行け。



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